なにみては寝る

時々きます

コロナ陽性になった日記 その2

 


【滞在生活の流れ】

朝7時に起床。検温、酸素測定、問診票に回答。

8時に朝食のアナウンス。飲み物は自由に取ってよく、お弁当が一つ配布される。施設によって違うようだが、私のいる施設ではロールパン二つとサラダ、ウインナーかハム、卵焼きと決まっていた。

12時に昼食のアナウンス。なぜか昼は中華風だった。

16時半に再び検温、酸素測定、問診票に回答。

18時に夕食のアナウンス。夜は和食というか定食風の弁当だった。

 


これ以外の時間はホテルの部屋から出なければ自由に過ごしていい。

 


【感想】

とにかく暇だ。贅沢な悩みだとは思うが、部屋から一歩も出ずに誰とも会わず一週間以上知らない部屋で過ごすのは結構な苦痛を伴うと知った。

私の場合は本を4冊、iPad、日誌、家計簿を持ち込んでいたが、あまり気力が湧かず本はほとんど読めなかった。持ち込んでよかったなと思ったのはiPadと日誌だ。iPadではNetflixをずっと見ていた。水曜どうでしょうをシーズン2まで踏破してしまった。Amazon primeでもHuluでもいいと思うが、とにかく気楽に、BGM感覚で流せる映像が見られる環境は必須かもしれない。(部屋にテレビはあります)

日誌は頭の中を整理するのにかなり役立った。走り書き程度でも書き残しておくと時間の感覚がわかるし、反芻しながらブログも書ける。SNSでもいいのかもしれないが、私はノートを持ち込んでよかったなと思う。落書きもできるし、書くという行為がものすごく面白く感じた。

そう、時間の感覚がわからなくなるのは結構怖い。私の場合は、11/4の記憶がすっぽり抜けてしまって、11/5の日誌を書く際に11/4と日付を記載してしまった。気づいたときはゾッとした。

それから、Kindleなどの電子書籍があれば時間潰しには困らないだろう。差し入れで漫画本を大量に受け取っている方がいたが、あれでは帰りが大変だと思う。帰りは送りの車はなく、自力で帰らなければならないのだ。(施設には差し入れが可能。)

あとはもう眠って時間を潰すしかない。そもそも療養が目的なのだから、それが一番正しい過ごし方だろう。療養中のため、飲酒はもちろん煙草も禁止だそうなので、喫煙者の方には大変しんどい期間になると思う。おやつは持ち込み可能なので、持ち込むといいだろう。

私が持って来ればよかったな〜と後悔したのはドリップコーヒーである。部屋のポットでお湯は沸かせるし水は飲み放題なのだから、あればずいぶん充実度が違っただろうなと思う。

 


【おすすめの持ち物まとめ】

・タオル(洗濯できない前提で沢山あった方がよい)

・着替え(温度調節ができた方が良い、ただでさえ乾燥するのでエアコンを入れずに済むくらいの暖が取れるのが理想)

・歯ブラシ(もちろんホテルにあるが、数回使うとダメになってしまう&歯磨き粉がなくなってしまうのが結構手間だった)

・コーヒーなどのドリップ、ティーバッグ(施設に紅茶と煎茶はあったが、自分の好きなものがあると尚いいだろう。お茶は人の心を満たす)

・延長コード(ホテルの電源は少ないかも知れないので)

・時間が潰せるものを少しずつ多種類(本を読むのがしんどい可能性があるので、映像や漫画、音楽など混ぜて持参するのがおすすめ)

・常備薬(アレグラなど、コロナには関係ないものも持ち込んだ方が良い。ただし解熱剤はNG)

 


以上、参考になれば幸いである。

なにか思いつけばまた追記する。

皆さんもお体にはお気をつけください。

コロナ陽性になった日記 その1

私事だが、コロナ陽性になった。

あまりにも時間を持て余しているので、備忘録を書いておこうと思う。

コロナにかかるとどうなるの、という参考になれば幸いです。

 


【感染までの流れ】

 木、金曜日に友人と食事。滞在時間は各日3時間ずつ。

 月曜日に友人から「コロナ陽性になった」と連絡あり。友人を経由して保健所に連絡先をお伝えする。職場には30分ほど滞在していたが、上司に事情を話し帰宅する。保健所から連絡があり、翌日にPCR検査を受けることになる。自覚症状はなく、そう言えば風邪の引きはじめのような感じがするかしら、と思う程度。

 火曜日に医師会へ訪問。当然、公共交通機関は使えないので、往復数km(10km未満)を歩いて行った。案外歩ける距離だった。医師会は屋外にテントが張られており、防護服を着た方が5名ほどいた。名前と番号(保健所からの電話で知らされる)を書いた紙を見せ、椅子に座り鼻から綿棒を突っ込まれる。一瞬で終了した。思ったほど痛くない。インフルエンザの検査の方が痛いんじゃなかろうか。

結果は金曜日にわかるとのことだったが、私の職場が「社内で対策を取るため、少しでも早く結果を教えてもらえ」と指示するので、電話して出来るだけ早く教えてもらえるよう依頼。木曜日の夕方に電話をもらえることになる。(あっさり承諾していただきましたが、保健所のスタッフさんその節は無理言って申し訳ありませんでした)

 木曜日、18時過ぎに電話が来る。(業務時間外だったのではなかろうか。本当に申し訳ない)

結果は陽性とのこと。幸い軽症で症状(主に発熱で判断するようだ)が出てないため、入院ではなくホテル療養が決まる。

無症状の患者の場合、検査日を発症日とみなすそうで、発症日から2日前まで遡って濃厚接触者がいなかったかヒアリングされる。私の場合は火曜日が発症日扱いだ。日曜日は家にいたし、月曜日は30分しか会社におらずマスクもしていたため、濃厚接触者は無しと判断された。不幸中の幸いである。

 金曜日、療養先のホテルが決まる。着替えやタオルは持参するようにとの指示があった。なるほど、確かにタオルは消毒も難しそうだし道理だなと思った。ここまでの保健所からの連絡や指示がとにかく的確で感心したのを覚えている。

 土曜日にホテルへ移動した。変わらず公共交通機関は使えないので、迎えの車が来た。ワゴン車に乗り込むと既に一人乗客がいた。ホテルに着くと一名ずつ降りて名乗り、紙袋に入った書類とルームキーをテーブルから取る。部屋に着いてみると何の変哲もないビジネスホテルの一室だが、体温計、酸素計、iPhoneBluetoothの受信機器(説明が難しいが、体温計や酸素計の測定データを問診票と同期させる器械)が置いてあるのが目を引いた。これで熱や問診票を送信するらしい。ハイテクで感動する。ちなみに体温計は持参が必要な施設もあるそうだ。

 


長くなったので一旦区切ります。

自臭症になったときの長い日記

自臭症という病気を聞いたことがあるだろうか。

二年ほど前、私はこれを患った。

私に専門的な知識はないが、この時の経験を記録しておこうと思う。かなりの長文になります。誰かの役に立つと嬉しい。

なお、腹部の不調のため食事中の方は不快に思われるかもしれない。ご注意ください。

 

 

 

症状が出始めたのは夏から秋へと移り変わる頃だった。

とにかくお腹の調子が悪い。腸のあたりがゴロゴロと鳴り腹痛が絶え間なく続き、泥状の下痢をするようになった。普段からお腹の弱い方で、月に数回はお腹を下していたので、始めは気にしていなかったが一週間、二週間と症状が長引き、私はすっかり参ってしまった。

今思うと、当時は職業訓練校に通っておりストレスフルな生活を送っていたのが原因だろう。前職の上司からのハラスメントで受けた心の傷も癒えぬまま、十分な蓄えなしに無職になってしまったことへの不安感は私を暗闇に突き落とすようだったし、職業訓練校での勉強が想像よりもハードだったこと、隣の席の女性から不当な嫌がらせを受けていたことが重なって、「頑張りたいのに身体が思うように動かなくなる」という状況に陥ってしまった。

以前のエントリにも書いたが、私は睡眠障害を抱えており、久しぶりのハードな座学に緊張もしていた。眠ってはついていけないとコーヒーを大量に摂取していたのも悪さしたのかもしれない。(大量にと書いたが、コンビニに売っている500mlのアイスコーヒー一本分くらいであった。エナジードリンクなどは滅多に飲まなかったから、日本人の平均的な摂取量だと思っていた。そのサイズの商品はたくさん売っていたので。私の体質はカフェインに少々弱かったのかもしれない。)

結局、私は3ヶ月の職業訓練校の最後の二週間はほとんど通うことができなかった。腹音、腹痛、ひどい下痢、それからガスの張ったような症状に苦しめられた。時間が経つほどそれは悪化し、まず授業中にフルタイム座っていることが難しくなり、隣の席の女性から臭いと煽がれるようになり、電車に乗れなくなった。階段を転がるようにあっという間の出来事で、私は自分の体に何が起きてるのか理解できないまま訓練校を卒業した。ものすごく悔しかった。

 


ストレスの一因となった職業訓練校を卒業してもわたしの症状は良くならなかった。この頃からオムツをつけ始める。ドラッグストアで売っている自立できる大人用の薄型パンツタイプだ。

職業訓練校の最後の二週間あたりから、わたしは特にガスに悩んでいた。つまりおならである。

便を漏らすことはないけれど、周囲にバレてしまうようなガスが出るようになった。ラーメン屋さんやカフェで、手で大きく煽がれたり、怪訝な顔をして盗み見られたり、明らかに他人に迷惑をかけるような失敗を数回してしまったため、人前に出るのがすっかり怖くなってしまった。通常のパンツでは外に出られなくなってしまったのだ。オムツの袋に書いてある消臭効果の文字に縋るようになった。この消臭効果というのは主に尿を対象に書かれており、もちろん効果はあまり期待できなかったが、履かないよりは幾分気持ちはマシだった。ハローワークなどにどうしても出かけなければならない時は、オムツを履いてズボンを履いてできるだけ短時間だけ出かけた。スカートは怖かった。

 


体はちっとも良くならなかったが、なにせお金がなかったので、無理を押して何とか面接を受けて内定をいただいた。現在の勤め先である。

ところがここからが本当の地獄だった。

体調不良で休んだ時に心配をしてもらえるのが学校、詰められるのが会社である。

新しい職場、新しくチャレンジする職種に緊張した私のお腹が良くなるわけもなく、入社時面談でグギュゴゴゴと鳴り響く私の腹音。上司達は「朝ごはん食べなかったの〜?」と和やかに流してくれたが、私は冷や汗が止まらなかった。それからは腹痛で職場のトイレに篭ったり、遅刻・欠勤したりと勤務態度は最悪なスタートだった。

正直この頃はよく思い出せない。ほとんど記憶がないのだ。覚えているのは時折上司に呼び出されて「どうしたの?」「持病があったの?」と聞かれたこと。違うんです、違うんですと謝り続けたこと。仕事なんて手につかなかった。

ちなみにこの頃はほとんど食事を摂っていなかった。何を食べても体臭につながる気がしたからだ。出来るだけ腸に良いものをと思いヨーグルトや乳酸菌入りの納豆を食べた。主食はゼリーだった。コーヒーはやめた。それでも胃腸は改善しなかった。

そして、私はついに禁断の薬に手を出してしまう。そう、下剤である。お腹がガスで張って仕方ないのは腸内に老廃物が溜まっているからでは?と考えたのだ。

ご想像通り、ろくに物を食べず毎日腹を壊している人間の腸内に残っているものなんてほとんどない。当然下痢はひどくなった。出すものもないので粘液っぽい水分が出てくるだけだった。それでも体内に残っているはずの老廃物を出せば、出し切ればお腹も良くなるはずだと思い込んでいた。

 


それから私は胃腸の専門医を訪ねることになる。

上司の1人が教えてくれた病院は、都内の辺鄙な場所にあった。ここで胃カメラと大腸カメラを受けた。問診に答えて台に登る。麻酔が効いて朦朧としながら医師の声を聞く。

「うーん綺麗だけどなぁ…」

今思えばそれは当然だ。だってこれは精神の病気だから、体に異常はないのだ。胃カメラも大腸カメラも問題ないという診断がおりた。整腸剤をもらって帰った。

絶望した。こんなにお腹の調子が悪いのに、私の胃腸には病気がないのだ。

その後も精神科を訪ねては門前払い(睡眠の特殊な薬を飲んでいるので診てもらえなかった)されたり、私の迷走は続いた。

 


そんな私を救ってくれたのは、エビリファイ、そしてレキサルティという薬である。

統合失調症の薬らしいのだが、これが私の被害妄想気味な不安感を払拭してくれた。エビリファイは多動というかソワソワした感覚を覚えたが、後発品のレキサルティはそんなこともなく、私の精神はなんというかまろやかになっていった。

もちろん一夕一朝では良くならなかったが、辛抱強く薬を服用することでご飯が食べられるようになってきた。

 


長くなってしまったが、つまり私が言いたいのは、精神の病気は体をガラッと作り替えてしまうということ。

お腹が痛いなんてだれにでもあることだと馬鹿にしないでほしい。臭い気がするという人を笑わないでほしい。思い込みの力はすごい。

誰にでも起きうる現象だ。身近に似た症状の人がいる時はどうか治療を進めてあげてほしい。大丈夫。治るのだ。

みんなが、健やかに生きられればいいのにと切に思う。

コメントもお待ちしてます。

「お金がない人はペットを飼わないで!」について

よく話題になるペットとお金問題。

個人的には、ペットショップやブリーダーさんのようにペットのお迎えにお金がかかる仕組みは良いと考えている。なぜかと言うとそこで覚悟(お金)を見せられるからです。

 


もちろん保護猫、犬活動は素晴らしい。まだまだ生きられる命と新しい飼い主との出会いを繋ぐ大事な活動だ。某県で保護猫活動への寄付を約束したふるさと納税があったが、かなりの額が集まっていたことからも世間に必要とされている活動だと言えよう。(オチとしては使い込みがあったみたいだけど…その話はここでは割愛します)

 


飼う人が本当に育てる気なのか、育てる財力があるのか測るのに「買わせる」っていう行為は有効だ。

保護猫や保護犬をお迎えする時、家族構成やら職業やらを聞かれるけど自己申告だから本当の生活や気持ちはわからないし、そもそもそんな質問が必要なのは、無料で気軽に生き物が手に入ると悪事(虐待など)を働く人がいるからだろう。

ちなみに可愛くて幼い子にみんな群がるというグロテスクさはペットショップでも保護でも同じだ。私が保護猫を探していた時、子猫は希望者殺到で抽選、成猫はいつまでも引き取り手おらずが普通だった。

そのため、成猫に運命を感じてお迎えしました!という話を聞くとかえって羨ましくなる。私は初めて生き物を飼うのに、自分の知らない生き方や癖(前の飼い主のやり方とか、野良の時の習慣)がある子をお迎えする勇気がなかったので。

 


そんなこんなで、ここ数日?のペットショップで買う人間は悪!みたいな風潮をみると、私はちょっと違うな〜という気持ちになる。

うちの猫は本当にいい子でケージに入ってのお留守番も問題なくできるんだけど、それはペットショップの店員さん達が愛情込めて保育してくれてたおかげだと思うからだ。もちろん悪戯はするし、私が怪我させられることもしょっちゅうだが、そんなところも含めて愛おしい。

 


我が家はペット共生型賃貸に住み、猫を飼う申告をして規定の敷金を払い、ペットショップで気の合う子を見つけてお迎えし、猫優先の生活をしてる。夏場のエアコンは3ヶ月つけっぱなしだったし、外出の際にも時間に気を使う。ペット保険をかけるとか、些細なことでも異変があれば病院にきちんと連れて行くとかそういうことをサボらずやっている。自分はえらいと主張したいのではない。それでも不安に駆られる瞬間はあるのだ。ペットは生き物だから、いつどんな事故や病があるかわからない。いつまで元気でいてくれるか、いつか看取らなければならないと考えると暗い気持ちになる。癒されるだけではないけれど、一緒にいたいのだ。

 


長くなったけど、「ペットにはお金がかかる!」と当たり前のことを声高に言うのはなんか違和感だよ、という話でした。お金のことを気にするなら飼わないほうが正解です。私はその先の話をしたい。

そして、うちの猫は世界一可愛い。我々を養ってくれる旦那さんは世界一偉い。

そんな感じでやっていきます。

私がなぜ「自分はかわいい」と思えるのか

随分と放置してしまった。存在を忘れてはなかったが、特に書きたいこともなかった。

久しぶりに自分のブログを読み返してみたけれど、随分暗いなと思った。

あなたはこの後、結婚式でたくさんの人に祝福されるし、適切な医療も受けられて少し明るく活発になりますと当時の自分に伝えたい。きっと斜に構えて信じないだろうが。

 

さて、本題である。

マシュマロという匿名メッセージサービスで私に質問が来た。

・どうして自分をかわいいと思えるのか、どうしたらそのような精神になれるのか。

・かわいいは他人が決めることだと思う。

とのことだった。

これに関して私の考えを説明するには、100文字じゃちょっと足りないなと思ったのでブログで回答しようと思う。

 

私は自分のことをかわいいと思っている。

なぜそう思うのか書き出してみた。

・人に褒めてもらったから

・かわいさは形状だけじゃないから

・メイクという名の魔法が使えるから

・自分の良さを知っているから

・自分に自信がある人は素敵だと思うから

順番に説明していこうと思う。

 

 

・人に褒めてもらったから

私は人の5倍くらい貶されて育った。三つ上の姉がいるせいだ。美人で、容姿に人一倍過敏な姉だった。

姿勢、体型、顔、髪の毛、全て。小さい頃から悪く言われなかった部分はなかったし、寝ている間に眉毛を剃られたり、勉強中に癖毛を引っこ抜かれたりした。

そのためティーンの頃はいつも自信がなかったし、姉の顔色を伺ってコソコソしていた。努力してみても、買う服はダサいと笑われ、メイクも下手くそだと詰られた。

そんな感じで育ったので、当然、昔は自分の顔がとても嫌いだった。特に低い鼻(彫りの深い旦那と比べると鼻の骨が足りない気すらする)は大のコンプレックスだった。これを克服したのは人からの褒め言葉のおかげである。

ある日、低い鼻が嫌だと嘆く私に、当時の恋人は

「でもお婆ちゃんになったら、低い鼻はとっても可愛いと思うよ。」という言葉をかけてくれた。自分の顔と付き合うのは今日だけではない。大人になっても、お年寄りになっても、私はこの顔だ。経年変化を楽しみに生きる考え方は当時の自分にはなかったので、とても印象に残っている。そして「なるほど!」と腑に落ちて、私は自分の鼻を愛することに決めたのだ。(若くて単純でかわいいですね。)

今では、毎日旦那さんに褒めてもらっている。毎日言われていると、段々そうだ、という気持ちになってくる。自己肯定感が下がった時は自分でも鏡に向かって「かわいい、かわいい」と言い聞かせている。

私にとってかわいいは呪いでもあるし、大事な呪文でもある。


・かわいさは形状だけじゃないから

写真が嫌いだった。

集合写真など、自分の顔はどうも写りが悪い気がして恥ずかしかった。

数年前の結婚式の日、私は沢山の人に写真を撮っていただいた。意外なほどもらった写真はどれも綺麗だった。客観的に見て、私はこんな風に見えてるのかと感動した。自分が思い込むほどひどい容姿ではなかった。

あなたは人から写真を撮ってもらったことがあるだろうか。かわいさは顔の形状だけで決まるものではない。表情の豊かさが思いがけない美しさを作ることもある。私はそれを知っている。


・メイクという名の魔法が使えるから

メイクは楽しい。アイシャドウもリップもチークもキラキラと色鮮やかで独自の世界を持っている。

絵を描くのが好きなので、メイクをする時はとてもワクワクする。今日はどんな色を塗ろうか、どんなラインを描こうか考えるとドキドキする。

目はもうちょっと大きいといいな、まつ毛は長く、瞼はとびきりハッピーな色に、ほっぺたは幸せが伝わってくるように…ほとんど祈りながらメイクをする。練習すればするほど思い通りに変身できる。雑誌を読んで勉強するのも楽しい。

メイクが好きだ。メイクした自分も好きだ。自分を演出できる力を持った私のことが好きだ。


・自分の良さを知っているから

多くの人が勘違いしているけれど、好みと美醜は似ているけれど違うので、

「あなたは不細工ですね」と人に言われたら、

「ああ、私はこの人の好みの顔じゃないんだな」と思うようにしている。

イラストの絵柄と一緒である。

「この絵はとても美人だけど、どうも好きじゃないな」と思った経験は誰にでもあるだろう。

そして、それって人それぞれでどうでもいいのである。あなたが私の顔は好きじゃなくても知ったことではない。私は自分の顔のどこがかわいいと思うか全て説明できるが、そう思わない人がいることも理解できる。そもそもかわいいなんて主観極まりない感覚の話を他人と擦り合わせようなんてどうかしている。


・自分に自信がある人は素敵だと思うから

最後はこれに尽きる。いい歳した大人が「私ってかわいくなくて…」とウジウジしているのはあまり魅力的ではない。

誰だって良いところも欠点もある。欠点のない顔なんてない。

インターネットの海でどれだけ小石が飛んでこようと、自分はこの顔だ。配られたカードでやるしかないとスヌーピーも言っていた。自分のために戦ってくれるのは自分だけ。最後は自分を信じて努力するしかないのである。そう思って私は今日も筋トレをし、食事を制限して、メイクをする。

お会いしたことのないあなたも、自分の味方ができるようになるといいなと願う。

 


※追記 そもそも他人の容姿にどうこう言ってるあなた、大変にレベルが低くて下品ですよ。改められた方がよろしい。

 


以上。

 

一年経ったらしい

世界中のどこにも馴染めてない様な錯覚に襲われる夜があって、それが翌朝や翌週には終わる精神の不調だとわかっていてもどうしても耐え難い時がある。

というか基本的に毎日そうなんだけど、その分月に一度くらいのとても幸福な日に全て許された様な気持ちになったり


ドレスの試着が怖くて過食を続けている

支離滅裂だ

今日友達に電話したら「一生に一度の事だから準備も楽しんで」と言ってくれた

そうだよなぁと思った。過食をやめなければ。


1日を生きるのに2000円とか、酷いと10000円近く使ってしまう。とても辛い気持ちになる。大半が食べ物。あとは服が多い、ユニクロ等で安い服を適当に買うより、たくさんウインドウショッピングをしてセールまでじっと待って、本当に欲しい服だけを買ったほうがいいのだろうなぁと気付いているが、中々難しい。明日着る目新しい服が欲しい。


上坂すみれさんのファンクラブに入りたい気持ちと、でんぱやももかの様に推した人達から次々辞めてしまうので怖い気持ちがある。私が推しても推さなくてもアイドルはいつか辞めるのだから、怖がらずに公式に金を落とさなければ、そうしないと目先の活動も支えられないと思うが、お金を使うとやはり気持ちも強くなるのでそれが怖い。上坂さんがどんな選択をしても常に肯定的でいれるよう距離を置いた方が良い、これ以上好きになってはいけないと自分が言っている。


死にたいが口癖の様に溢れてきて、どんどん回数が増える。死にたいって言いたくないな。死にたいわけではないのだと思う。多分。

自分がどのように振る舞えば、皆を不快にさせずに済むのかわからなくてとても苦しい。欲深いから悩むのだと思う。


ブログを始めて一年経ったらしいが、あまり何も書かなかったし、適当な仕事についただけで、何一つ勉学しない年だった。貴方はどうですか。


どこからが障害なのか

自分は睡眠ではなくて発達障害なのではと感じる今日この頃です。

チェックシートやってみたけど、こんなの誰にでもあることでは?あまり参考にならなさそう。

発達障害だったとして、治療とかは無理なんだろうな。一生薬飲む感じかな。

友達が「精神病は白か黒かじゃなくて、グラデーションのようになっているから難しい」と言っていたけど、そうだなあと思う。

 

死にたいわけじゃないけど死にたいと口から零れてくる回数が増えてきた。

ただただ生きづらい。どうしてこんなに楽しくないのか。何してもしんどい。

グループの中でうまく立ち回れない回数も増えた気がして憂鬱だ。

意味は違うがサークルクラッシャーのよう。

円滑に回っていたグループさえ破壊していっているような気がする。

私にそんな影響力がないのはわかっているけど、それでもそういう錯覚がある。

疲れた。仕事辞めて家でじっとしていたい気持ちなのだけど、闇金ウシジマくんを読んで何とかこらえている。お金が欲しい。